「お金持ち」ではなく、「時間持ち」になる

画像提供:Gerd AltmannによるPixabay

私は以前のブログでも書きましたが、大橋巨泉さんの著書で「ハッピーリタイヤメント」を知り、定年年齢よりも早く退職し、残りの余生を存分に楽しみたいと考えていました。

そのためには、やはり先立つものとして、十分な「お金」が必要でした。しかし、よくあることですが、手段が目的化することがよくあります。

いつしか、「お金持ちになりたい」、それが目的にすり替わっている自分がありました。

そのため、本業である仕事にはもちろん真面目に取り組み、同時に副業を行い、副業での収入が本業を超えたとき、初めて早期退職が可能となると、思い込んでいました。

もちろん、最近やっと、大企業でも副業を認め始め、私の会社も去年(2018年)から副業が解禁となりましたが、私が志した2000年前後はそのような社会的雰囲気もなく、サラリーマンができる唯一と言ってもいいほど、並行してできる手段が株式投資でした。

BNF氏やcis氏のような投機の才能があるわけでもなければ、ウォーレン・バフェット氏、竹田和平氏のような経営的な才覚や豊富な投資資金があるわけでもない私の投資成績は、いわゆる「普通」でしかなく、投資による収入が本業の収入を上回ることもありませんでした。

しかし、そんな私に転機がありました。

同じ会社の先輩社員の方なのですが、専門学校卒だったため、入社が早く、先輩ではありましたが、同い年のため仲良くしていただき、笑顔が多く人当たりのよいその先輩社員のことを、私もとても好いていて、よく遊びに連れていってもらったりしました。

数年後、私も先輩も異動となり、別々の地方都市で仕事をすることになり、年賀状だけは交わしていましたが、疎遠になっていたのですが、その先輩が一昨年、お亡くなりになりました。

当然、会社で訃報通知があり、ご縁があった社員には、メールで個別に連絡が回ってきました。

訃報を聞いた最初は、「えっ、なんで」という感情と、事態が理解できない自分がいました。

そして、じわじわとその事実が理解できるようになりました。

もう、あの先輩はこの世のどこにもいらっしゃらず、もうあの笑顔は見ることはできないないんだと思ったら、なんだか、本当にやるせない気持ちでいっぱいになりました。

なので、思ったのです。もう自分もいつ死んでもおかしくない年齢にいつの間にか、なってしまっているのだと。

人生100年時代と言われていますが、確かに自分も100歳とは言わないまでも、90歳まで生きるかもしれませんし、明日、不運にも事件、事故で死んでしまうかもしれません。

そう考えたら、自分が欲しいのは、2億円?、3億円?、10億円?、100億円? そうではないのだと。

もちろん、お金の心配をしなくてよいほど豊富にあることに越したことはないですが、やっぱり本当に欲しいのは、自由な時間なんだと。

まあ、両方大事なのですけど、「お金持ちになりたい」「幸せになりたい」という人はいくらでもいらっしゃるけど、「時間持ちになりたい」という人はあまり聞かないので、記事にしてみました。

紹介 private_investor_kajiyan

日本に本格的な長期的な視点での資産運用の文化を定着させたいため、このブログを開設

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